sangreal333
●終戦後 「朝鮮進駐軍」武装部隊が首相官邸襲撃●------------「朝鮮進駐軍」部隊2000人による「首相官邸襲撃事件」が1946年起きた。約2000人 の在日朝鮮人「朝鮮進駐軍」部隊が完全武装して首相官邸に突入。日本の警官隊は当時武器の所持は禁じられていため、米軍憲兵隊に応援を頼んだ。そこで米軍憲兵隊と「朝鮮進駐軍」との間で大銃撃戦闘へと発展した。
『日本国憲法』「新」無効論

旧無効論ではなくて、新無効論です。新無効論というのは、『日本国憲法』は憲法ではなくて講和条約だよ、ということです。

だから、『日本国憲法』という法典そのものが消えて無効になるわけではありません。憲法ではない、というだけのことです。憲法は、大日本帝国憲法がそのまま現存している、というわけです。

従って、昭和天皇による上諭も、この講和条約をしっかり実施しなさいよ、ということになるのであって、承詔必謹に反することもありません。

このように、八方丸く収まるのが新無効論です。

私が問題にしたいのは二つ。

一つは同和部落問題を喰い物にして「恫喝」で社会を渡り歩いてきたのでは?という大衆の直感(それが合っているのか、どうかは分からない)が、あのテレビ映像で一瞬にして日本全国に伝わってしまった事だ。


日本全国の庶民が「被災地を助けよう」「原発は大変だ」と心の底で思い、出来る事は何だろうと、3月11日以来、自らに問い続けている時、そして被災者は言うまでも無く、民主党政権のサボタージュのような復興の遅れに希望を失い欠けている時に、「恫喝」を生業にしてきたような議員を復興大臣に指名し、あの態度を取れば、それは日本国民の敵とみなされて当然である。

内田さんの言うように「知的パーフォーマンスを低下させる政治的センスの無さ」もあるが、それよりも、もっと感情的なレベルでの拒否感である。

日本国民が望んでいるのは、被災者の心に寄り添い、一緒に汗をかきます、という態度の復興大臣だったと断言して良いと思う。


「お前らが知恵を出さないと、何もしないぞ!いいか!」などと良く言えたものだ。

精も根も尽き果てて、体力、知力、お金や家や仲間も失ってしまった被災者、被災地には 「あなた方は不条理な災害にも関わらず頑張っている。私は被災していないので、知恵もお金も体力もあるので、国が全面的に被災地を支援します。現地の状況は理解が足りないので、どうぞ、教えてください」

というリーダーが求められているのに、実際には恫喝されたのだ。

この感情的な怒り、憤りを、私は共有する。

昨日ツイッターで大人3人と言い争いになって「何故それが正しいと言えるの?」って聞いたら、揃って「それが多数意見だ」って答えるの見てゾッとした。何が正しいかより皆と同じことが重要らしい。日本がダメになっていく理由が分かった気がした。
  最近、インターネット上などで「剣道の起源は日本ではなくて韓国である」という記述がしばしば見かけられますが、全日本剣道連盟はこれまで、これに敢えて反論はしてきませんでした。というのは、剣道は日本の武士の生活の中から生まれた日本独特の文化であるという考えでいたからです。しかし、最近、上のような記述がますます頻繁に見られるようになってきたことから、改めてわれわれの見解や方針について広く知って頂く必要があると考えました。
韓国の若い世代はこのことを知らない。「有史以来、朝鮮半島の国は独立国家であった」などというデタラメが学校で教えられているからだ。
独立門前で「この独立って、どこの国からの独立?」と質問すると、多くの若者はそんなことも知らないのかと憤慨しつつ「日本からに決まっているだろう」と答える。しかし、そこで「でも、説明板を見てごらん。この独立門が建てられたのは一八九七年だ。韓国併合は一九一〇年だし、光復(独立)は一九四五年だろう。それ以前の話なんだよ」と言うと、彼等は絶句し思考停止してしまう。
※週刊ポスト2011年12月16日

憲法とは国体に関わる法のことだ。それならば、『日本国憲法』というタイトルの、あの文章は一体何なのだろう。少なくとも、あれが憲法ではないということは誰でも分かるよね。ブログ『大日本帝国憲法入門』

保守思想と憲法

数千年に及ぶ、男系継承という不文の法は我が国の国体の根幹をなすものだ。国体は誰かが創造できるものでもなく、時代によって変遷するものでもない。それは我々の道徳と自由の源泉であり、無数の名もない人々の営みによって生成されるゆえに神聖なものである。人は過つが、法は過たないのだ。 ブログ『大日本帝国憲法入門』

保守思想と憲法

保守と国家社会主義を分けなければいけない。「天皇主権」(=天皇陛下のご意向ならば、どんなむちゃくちゃなことでも可能だ)というのが国家社会主義。天皇陛下や皇室を敬いつつ、我が国の国体と自由を守っていこうというのが保守。